今日は、次男の誕生日
2023/10/13
おはようございます。
助産師の小柴です。
今日はとても良いお天気で、
すっきりとして晴れて
本当は今日実家の掃除に行こうかなと思っていたのですが、
なんだか掃除をするのはもったいなくて
久しぶりにほんとに自分の食べたいものを、
自分の為に作ってみようと思いました。
その昔、次男がお腹にいるときにマクロビを実験してみた事があります。
勿論、我流では無く、師匠に付いてです。
私の体質に合わせてアドバイスをもらいながら基礎を学びました。
その中でなんだかわからないけど、はまっちゃったものが1つ。
それは小麦の塊グルテンを蒸し、揚げて、煮込んでそれをカツにした
コーフーかつ
と言うものです。
小麦のグルテン100%の粉を使って
更に1割薄力小麦粉を入れたものを加工していくんですが、
まぁ口に入るまで8時間位かかります。
小麦のタンパク質が子供の脳の発育に良いと聞いていました。
当時の私はそんなのよりも
なんだか体が欲していると言う感じで、
ただただひたすら食べていたのです。
1人目からなんとなく自然なお産に憧れましたが叶わなかったので、
ふたりめはもう自宅でと思っていました。
助産院が遠かったからです。
夫には反対されましたが、
でも結局なんのかんの言って巻き込まれてくれました。
そして終わった後
「騙されて良かった。」
と言ってくれたのが印象的でした。
近かったら助産院で産むという選択肢もあったと思うんですが、
当時住んでいたところでは行くまで片道そうですね、
ドアツードアで2時間ぐらい見ないといけない距離にありました。
マイホームも手に入れたばかりで家に愛着があったと言うのもあります。
妊娠中テルミーの学校に行き、
毎週1回、体に全身テルミーをかけてもらい、
そして食の師匠にも出会ったこともあり、
妊娠の半ば位から本格的に学び始めました。
ステンレスやアルミの鍋で作ったものよりも
土鍋の鍋で作った料理の方がなんだか美味しくて
またもう一度食べたいのが大きなきっかけでした。
私は都合よく夫に
「いや~、赤ちゃんが食べたいって言ってるんだよね。」
などと言いながらマスタークックの土鍋を続けざまに3つ買い揃え、
ご飯と味噌汁用とそしておかずの3つを作っていました。
上の子は保育園に行ってくれていたので、
後は月に10回、二子玉川園近くのテルミーの学校に行くのと
自分の体を整える事に時間を使うことができました。
今思えば時間リッチでした。
そして本当に最後の1ヵ月だけ
実験をするように全て自分の手で作ったものだけで生活しました。
もちろん素材としては買うんですが、
生協に頼ったりとか
出来合いのものを食べたりとか
外食とかは一切しない過ごしました。
また予定日よりも遅れて生まれたので、
5週間ぐらいはそういう期間があったと思います。
毎日玄米を食べ、たまに麺、パンは、食べずに過ごしました。
なぜならパンは作れなかったから。
ですから、小麦が食べたくなると
このコーフーカツもよく作って食べていました。
そしてむくみやすく、以前腎臓を患った、
私(10代の時に急性腎炎のような症状にかかって入院したことがあります。)
は、どうしても尿タンパクが出やすくなります。
疲れると出ると言う感じで、
いちど痛めてしまった臓器はなかなかやはり元に戻らないのか?
そのせいもあって、本当にむくみやすい体でした。
お砂糖を一切食べず、
貧血があったので、しじみの潮汁だけはたまに飲むようにしました。
そして、小豆昆布を定期的に食べました。
そうしたら最後の1ヵ月で2キロほど体重が落ちたのです。
自分でもびっくりしました。
足のむくみ取れて、股に隙間ができました。
本当に驚きでした。太めの体しか知らなかったので、
お腹だけひょっこりと出て後は妊娠前の体つきと言う感じなのです。
つまり多分体の中に淀んでいた水が出て行ってしまった感じでした。
もともとぽっちゃりでの妊娠でしたが、避妊時から見ると、
結局は体重増加が4キロで
生まれた子供が4030グラム。
お産が、3時間でした。
出血もなかったようです。(母子手帳の記録より)
それこそ息をつく暇もなく、
陣痛がやってきて
彼は、生まれてきました。
アレ?と思い、連絡しなくちゃと思う側から陣痛の波がやってきて、
電話をする頃には、5分おきでした。
19時ぐらいに破水かな?とトイレに行き、
30分で3回の波が来たのでああ、
始まったのだと連絡し始めた途端に5分おきの陣痛でした。
陣痛の波が終わりそうと思うと、もう、次の波の気配がするのです。
それこそ私のことなどお構いなし、
自分のペースで生まれてきたと言う感じです。
まぁその自分のペースでと言うのは今でも変わらず、
マイペースな人生を送っています。
生まれ方が、人生に影響するのでしょうか?
ブリージングという世界でそのような話を聞いた事を思い出しました。
出血も少しでした。
母乳の分泌も順調で、母乳のみで過ごしました。
5日目には出生時の体重に戻っていたのを覚えています。
が、残念なことにその後黄疸で入院し、
私自身とても悔しい思いをしたのがこれまた今の仕事に生きています。
13週で大学病院での仕事をやめ
自分のペースでテルミーの学校に通い、
ゆっくりと自分のペースで妊娠生活を送れたこと。
そしてひとりめの時のお産とは
全く違ったスピード出産だったこと、
出血が少なかったこと、
体を冷やさずに暮らすコツ、
手当てをしながら妊娠中を過ごす、と言うことをここから学びました。
こうして何年経っても
次男がうまれたときの事を今でもアリアリと思い出します。
思い出すと、ちょっと目頭が熱くなります。
私は、次男が生まれてきたから
出張専門の助産院を開業する事を決意しました。
きっと、助産院が、出来て嬉しかった母達がいると思う。
このお産の体験が、無ければ私は、開業しなかったかもしれないから。
〇〇へ
お誕生日おめでとう。
生まれて来てくれてありがとう。
君の存在は、沢山の人を幸せにしました。
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